この度、日本三大茶会である「金沢城・兼六園大茶会2023」にて私の制作する「漆皮角干菓子器」が石川県知事賞を受賞致しました。日頃より応援くださっております皆様に改めましてお礼申し上げます。
漆皮(しっぴ)という技法は動物の生皮を成形し本漆で固めたもので、武士の具足・鎧や草履の爪皮などに使用された日本古来の技法です。僕がこの技法に目を向けたのは2013年。'LEATHERS by Kei Arabuna' というブランドを立ち上げ、漆とレザーを用いて制作を始めました。ただ、本来の皮はレザーとなった革とは違い、鞣していない生のもの。現在ではなかなか入手が困難なものですが、自然が好きで無駄を嫌う私はいつに間にかハンターとして自分で生皮を入手できる環境になっていました。 本格的に漆皮の酒器や茶道具を制作し始めたのは今年の春先。本展示会が初の応募となりましたが、大変有り難い事に受賞という形でご採択いただきました。本作は11/3(金祝)-5(日)の間で兼六園時雨亭にて展示されております。7流派14社中が日替わりで茶席を設ける伝統的な茶席をご堪能いただけます。 ・百万石文化祭 金沢城兼六園大茶会 @兼六園時雨亭 11/3(金祝)-5(日) 9:00-15:00 ¥1500\一席 *作品鑑賞のみも可 ・展示販売会 @金沢エムザ3階カトレアサロン 11/8(水)-13(月) お近くにお越しの際は是非ご高覧いただけますと幸いです。 例の如く私の事ですので見えないところに巧妙な細工をしております。ヒント:裏面に銀と真鍮
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Final Exhibition of じょうはな織館 『room #404 not found』 2022.09.17-10.16 無事会期終了しました。 ご来場、ご高覧いただきました皆様、ありがとうございます。 今回に限らずですが、毎度宣伝が遅くなります。 と言いますのも、自分の作品にはどうしても言葉では言い表せない感情を込めています。 いわば僕自身が内に潜めて隠している感情を作品という媒体に込めているからでしょうか。 「自分を見て欲しい」という自己承認欲求が全くないのです。 「たくさんの人に共感して欲しい」という奉仕欲もないのです。 それでもただひたすらに作品を創り続ける理由はなんでしょう。 息をするのも、お腹が空くのも、美しいと感じるのも、排泄をするのも、掘り下げればその原因は見つかるかもしれませんが、その動機と理由は無自覚によるものでしょう。 それと同じように、僕の場合は気づいたら作品ができています。 アーティストというものはそんな生き物なのでしょう。 『視線のカタチ』 2022年 鉄、南京錠、糸、音(電磁波音、罵倒) 使い捨てのこの時代。 レジ袋は有料になり、友達は無料になった。 自分のコミュニティーの中が正義だと信じ、 自分に従う人だけを選んで繋がる。 そんなオンラインでしか繋がれない「感情弱者」は、そこから抜け出すその鍵を見つけることができるのだろうか。 人はたとえ「あなた」のためでなくとも、「誰か」のために生きている。 それぞれの「誰か」を知ることで自分だけの居場所が見えてくる。 2021年7月、旅の道中で高知県いの町の鹿敷製紙さんと出会った。 翌年2022年1月、そこで和紙の物語に携わらせていただいた。 原料農家の高齢化、産地の人口減少、需要の衰退に伴う供給の多様化。 それに携わる方々とその想いは守るべきものとその優先順位により、時に平行線を辿ることを余儀なくされる。 あの日に体験させていただいた手漉き和紙は、複雑に絡み合いながら幾層も織り成され、美しい一枚となっていった。 和紙という素材、そしてそれが生まれた背景を用いてインスタレーション作品と彫刻作品を展示します。 バイクで走るのもとても気持ちのいい場所でした。 9月3日(土)・4日(日)のアーティストトークにも出演させていただきます。 お話ししたい事がたくさんあります。 いつも通りのヌけた感じになるかと思いますが、よろしくお願いします。 先月の中頃、金沢の海岸で新作が完成した。砂浜から伸びる漆黒の幹に色とりどりの花が生けられた。 素材は全て海岸で拾った漂流物、通称ゴミと呼ばれるもの。 硬めたロープを合成漆で塗り上げ幹にし、プラスチック容器を溶かして花をつくった。 その花に地元のこどもたちが色とりどりの「きれい」を着彩し、黒一色の幹に生やした。 一本の幹に数本の花が咲いた。 その幹が10本近く無造作に浜辺に生えただけで、景色は一変する。 言いたいことは特にない。 僕にとっては素材がいつものように落ちていただけだし、いつものようにみんなが楽しめるようにしただけ。 ただ、感じれることはたくさんあると思う。 “by/ from/ to/ for, unknown” material: 樹脂、合成漆、漂流物(ロープ、プラスチック) 企画: kanazaWAZA / Masami Sawada 主催: GOmeet Committee アートディレクション: Kei Arabuna 素材提供: 内倉漆塗料店 協力: 街角マツワ 後援:日本財団 海と日本プロジェクト、石川テレビ ・上記作品の展示と共にワークショップを開催します。 <生皮(鹿)のフラワーコサージュ/ジビエ革(鹿・猪)のコインケース作り> 4月16日(土)17日(日)10:00〜 @金沢しいのき緑地 ご予約、詳細は石川テレビ公式ホームページよりお願いします。 山奥の道を車で走っていた。人里離れたそこはとても静かで、小さな集落が1キロほど離れたところにあるくらいだ。この日は鴨撃ちの場所探しのため鳥がいそうな池を転々と回っていた。程なくして前を走っていた他県ナンバーの車が川沿いで停車した。ふと右の川を見ると、雪に深く覆われた丘の横で鹿がじっとこちらを見ていた。その姿は美しく雪山の間に凛々しく佇んでいた。僕も車を路肩に停め、車内からその光景をじっと眺めていた。前の車からは子供を抱き抱えた父親と母親が出てきた。暫くしてその家族は車へと戻りその場を去っていった。 「もし獲ったとしたら、食べたいですか。」 僕は同乗している友人に尋ねた。 「はい。」 友人はそう答えた。 ハンターマップで現在地が狩猟区であり近くに民家がないことを確認すると、後部座席から銃を取り出しオレンジ帽とベストを着用して車外へ出た。鹿はゆっくりと川を下り、丘の向こう側へと歩いて行った。友人にここで待つよう伝え、少し歩いた下流のガードレールを跨ぎ、道路から見えない丘の裏側まで進んだ。膝まで埋もれる雪の中を上流へと川沿いに進むと15mほど先にさっきの鹿が土手の影から上半身だけのぞかせて水を飲んでいた。2又の角を持つその若い雄鹿の大きさと美しさに僕の頭の中はすっと穏やかになった。その姿を見ながらゆっくりと煙草に火をつけた。 「農作物への害獣被害」「近年になっての鹿の異常な流入」「狩猟者としての心得」など、先輩ハンターや周囲の農家からの言葉を思い出しながらも「こっちに気付いてくれ。」とも同時に願った。大きく息を吸い込みゆっくりと煙を吐き出しながら弾を二発込めた。それでも尚こちらに気づかない鹿に、わざとらしく大きな音で先台をスライドさせた。「ジャキン」という金属音が水の流れる音の間に響き渡った。ようやく鹿はすっと頭を上げ、ただ静かにこっちを見つめる。半身が雪に埋もれて跪きながら目線は逸らさず煙草の吸い殻をポケットに入れ、そっと目を閉じて手を合わせた。「どうか今のうちに逃げてくれ。」そう心の中でもう一度願った。 目を開いたと同時に銃を構え、さっきまでと同じ姿で佇む姿に向けて引き金を引いた。すかさず鹿は土手の向こうへ逃げ出した。「半矢(負傷した状態)で逃すわけにはいかない。」そう思って必死で雪をかき分けながら追ってからは覚えていない。気付いたら道路からは見えない丘の裏側で息絶えていた。その胸には前と横から撃たれた二発の銃跡があり、どちらも心臓を撃ち抜いていた。 この命を無駄にしない。魚を捌く時も、スーパーで肉を買う時も同じ気持ちだと思っていた。ただ、正直その深さが全然違った。もう一度手を合わせてから血を抜いて内臓を取り出し、先輩猟師に連絡した。手足を縛って担ごうとしたが全く持ち上がらなかった。日頃から丸太やバイクを持ち上げているので決して非力ではないと思うが、それでも10センチ程浮かすのがやっとだった。先輩が到着するまでの間に川の流れを使って移動させ道路近くの土手まで引きずり上げた。程なくして到着した先輩の指示のもと車に乗せ、解体を手伝ってもらった。 その肉を今、自宅で捌いている。家族や友人が美味しく食べれるように。 あの時の目はもしかしたらこうなる事を悟っていたのかもしれない。僕に感動を伝えたかったのかもしれない。さっきの家族や他の観光客に無残な姿を見せないように、最後の力を振り絞って丘の影で息絶えようとしたのかもしれない。 それでも僕は、人に慣れてしまった、人を恐れなくなった鹿を里に向かわせるわけにはいかなかった。 正直、何が正しいのかはわからない。 ただその時は、「ハンター初年で一人で鹿を仕留めるなんてすごいね!」と褒めてくれた先輩の言葉だけが心の救いになった。 肉になってからの感謝の背景には、命を戴いた誰かがいることを忘れてはいけない。 「世の中やらなくてもいい事」なんてたくさんある。学校の勉強だって、大切な人へのプレゼントだって、感謝の言葉だって、今の時代は無くても生きてはいける。ただ、それらを実際にやった先で本当に理解する事で人は成長するんだと思う。そして何かをまた他の誰かに伝えることができるんだと思う。 僕は自分が長く生きることよりも、感動を多く伝える事に集中したい。 北陸・石川県に移住して8年が経った。東京で生まれ育ちながら感じた「違和感」が「もったいない」に変わり、今ここで「価値」に変化しつつある。それを然るべき人へ伝えられるよう日々を過ごしたい。 今年は各シーズンで高知県土佐和紙産地いの町にある「鹿敷製紙」にてアーティストインレジデンスに参加します。 育んだ命からお裾分けを戴く。 そんな第一線の現場に携わるのは初めてかもしれません。 今回は視察のため、和紙の原料である「楮(こうぞ)」の収穫から運搬、原料加工の一部に携わらせていただきました。 次回は春。 今回とは異なる風景から僕は何を感じることでしょう。 楽しみです。 人はたとえ「あなたのため」でなくても「誰かのため」に生きている。 それぞれの「誰か」を知ることで、自分の居場所が見えてくる。 周りが見えれば見えるほど、自分らしく生きれる気がします。 資本とは何か。 今一度考えてみればいいと思う。 自分にとって都合の良い資本とはなんだろう。 切ないなら泣けばいい。 苦しいなら叫べばいい。 楽しいなら笑えばいい。 欲しいなら欲しいと言えばいい。 なぜ大人になると「金額」に目がいくのだろう。 そう思っていた当初、僕の作品の値段は「あなたの月収の〜%円」としていた。 そんな僕も大人になった今、提示する金額は固定にした。 その先で相手の心を見て判断してから動く。 深夜過ぎに帰宅する。 玄関先でブーツの靴紐を解いていると、微かに音楽が流れていることに気づく。 オーディオを点けたまま外出してしまったかと後悔するが、 曲の出所は音響設備の無い暗いキッチンの奥からだ。 心地いい音色に耳をすませながら裸電球のスイッチを入れて奥に進むと、 緩んだ蛇口から滴り落ちる水の粒が目に映る。 洗い残した皿に溜まった水に一定の間隔でEの旋律を奏でるそれは、 僕にまた新たなインスピレーションを与えてくれた。 今年もそろそろ、この季節が来る。 人から見える「こだわり」とは、本人にとっての「ふつう」なのかもしれない。 最近僕は拘らなくなった。 数多くの選択肢の中から比較的自由に、自分の意思で、自分に合ったものを自由に選択できるようになったから。 作れるようになったから。 生み出せるようになったから。 そんな僕にとっての「ふつう」に価値を付けるのは、それを「とくべつ」と感じる人に他ならない。 今回は自然の中で生まれた群馬の街と価値の分岐点がテーマです。 その分岐点がいつ生じ、どのように変化していくのかを創り残しました。 上記リンクからはオンラインで作品と紹介動画をご覧いただけます。 最終日はオークション形式で会場及びオンラインで購入いただけます。 ご参加よろしくお願いします。 どこに行っても、何を見ても〈その先〉を想像するのは僕のライフワークです。 僕にとっての〈普通〉が誰にどのように〈とくべつ〉になるのかはわかりませんが、 今後もただひたすらに自由を探索する旅を続けていこうと思います。 つくり手とつかい手の〈新しい関係〉を革製品としてカタチにしました。
自分の子が初めて描いてくれた似顔絵は上手くもないし似てもいない。 それでもとても嬉しくて、大切にしまってあります。 価値の根元はそんな目には見えない部分ではないでしょうか。 最後の一手間だけを自作し、誰もが完成させることのできる革製品2種。 僕と誰か、その誰かとまた誰かが一つのものを通して価値を伝え合う。 代々に渡り家を建てた日本文化をモチーフにした、本当の継続可能な価値の提案です。 応援よろしくお願いします。 |
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