幼い頃から、祖父の家に行くとこの絵があった。 古い家にはどこにでもあるのだろうと、子供ながらに思っていた。 ある時、母からこれは曾祖父の描いたものだと聞かされた。 今こうして芸術家として生きている立場から改めてこの絵を見た時、 色々と納得し、気付かされるものがあった。 この作品は僕の好きなセンスだ。 余白という余暇を残し、平和なモチーフでありながらもどこか寂しさと儚さを感じさせる。 この絵の持ち主である祖父が他界し、今年僕が引き取ることとなった。 現在は我が家のゲストルームに静かに佇んでいます。 「人はモノをつくることができる。モノは人に伝えることができる。」 言葉では表せない想いを、翌年も精一杯作品に込めようと思います。 今年も大変お世話になりました。 どうぞ良いお年をお迎えください。
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「芸術の秋」の由来は過ごしやすく出かけやすいことから、 日本では古来から芸術祭が多く行われていたからだそうです。 ただ、それは春でもいいはず。 僕が感じるに、どこか「哀愁」と通じるものがあるからではないでしょうか。 哀愁を感じるべく、吸収するべく、人が展覧会に赴くのであれば、 美術作家の僕はアトリエにこもってその感情を作品にぶつけたくなるのです。 感情的なアウトプットを直接対人関係で行う事は、この時季には極力避けたいところです。 Ishikawa, Fukui, Osaka, Taipei, Taichung, Tainan, Fukuoka, Kagoshima, Osaka, Kyoto, Ishikawa, Toyama, Kyoto, Ishikawa. YAMAHA SR400 1993+'94+'97+etc.. バイクのエンジンがとうとうやられた。 かなりの出費と時間を覚悟したが、仲間から「エンジン半分わけたる」とのありがたい連絡が。(エンジン半分て、、、肉の量り売りかい) プッシュロッドが折れていると踏んでいたが、それはとうの昔に折れていたようで、かなり綺麗に断面が研磨されていた。 気づかずにそのまま走っていたため、でっかいナットが緩み、クラッチボスごと外れていた。 ヤバイやばい。 スリックタイヤと化したフロントも変える。 一年でフロント1本、リア2本、合計3本のタイヤを新品で変えるのはとても金がかかる。ただそれ以上の楽しみを安全と共に得ることができるのでこればかりは仕方ない。 最近やたらと頻繁にオイルを交換している気がする。 週末から長旅なのでしっかりと整備して耐えてもらわねば。 寺という場所。 皆さんはどんなイメージをお持ちでしょうか。 画一化されたサービスが持て囃される時代の中で、 多色でありつつも人と地域、そして文化を担う場所でありつづける。 目に見える「もの」だけでなく、目に見えない「こと」をうみだす存在であることは、 アートやクリエイションと共通することがあるように感じます。 そんな共通する要素を掛け合わせたイベントが8年前、僕が学生の頃に立ち上がりました。 今回は久しぶりの参加です。 年々会場となるお寺も増え、今では11ヶ寺隣ました。 僕はその中の浅野川地区(前期)「聞善寺さん」と「廣誓寺さん」で計3種類の創作を発表します。 パンフレットは大量にアトリエにありますのでご要望の方はいらしてください。 訪問した会場の御朱印をスタンプラリー的な感じで戴けます。 ぜひこの機会に普段見ることのできない展示方法、 そしてふらっとお寺の中まで入れる機会をお楽しみください。 10年もの間、このバイクと共に居ることになる。 走行距離は僕の実走で約120,000km。 400ccクラスのバイクとしてはとうに寿命は超えているレベルだ。 今回はリアの挙動が鈍いのでスイングアームを交換した。 ただそれだけのことだが、僕のやることだ。 スムーズに済むわけがなかった。 SRに関してよく聞く話。 「スイングアームの固着」 案の定、固着していた。 グリスアップしていてもロード、オフ、長距離、サーキットを走る車体では 必ずこの時がやってくることは覚悟していたので切断。 たくさんの思い出の詰まった部位を切断するのは忍びないが、 これが原因で大惨事になることは防ぎたい。 スイングアームを切断し、全部品をこの機会に取り外し洗浄。 ただここで問題が。 シャフトがフレームに固着し一体化 しているではないか。 切断後、左はすっと抜けたが右がまさかのフレームと固着。 よく言う固着はシャフトとカラーの一体化だが、今回はさらにタチが悪い。 思いっきりぶっ叩くという案もあるが、 SRのような華奢な鋼材を使ってできたフレームは簡単に曲がる。 通常使用範囲で力のかかる方向を計算された構造ではあるが、 横からの負荷にはとても耐えれない。 試行錯誤と助言を得て、スマートに ナットを断面に溶接 してトルクレンチでじっくり回した。 なんと、溶接加工も含めてものの3分で取り外し成功。 フレームとナットを持ってきてくれれば溶接します。 機嫌とタイミングがよければタバコと缶コーヒーでやってあげます。 これでやっとガレージにスペースができ、 フィガロをガレージに停めることができました。 個展のお知らせです。 7月8日〜23日(水曜定休) 会場は趣のある重要文化財の洋館「じょうはな織館」です。 「革」により生み出された「アイテム」「道具」「アート」作品を展示販売します。 期間中は僕の工房を会場に移設し、手作り体験も開催します。 お楽しみに! 今月のイベントのお知らせ。
なんと、茶会。 僕が点てるわけではありません。 2年前から始まった日韓合同プロジェクト「Bequeath」。 1年ごとに互いの国の作家宅にホームステイしながらその地ならではの、その作家ならではの環境を感じて次回の作品展に生かす、というもの。今回の会場は金沢にある「中村記念美術館」内にある茶室「耕雲庵」。 日韓合計9名の作家の作品を実際に使用でき、趣ある空間でお茶を楽しむことのできるイベントです。 展示会だけの入場は無料。 お茶券は前売り500円、当日600円です。 お茶とかわかんない、作法って何?などの方も大歓迎。 僕自身何も知りませんが、ある時お茶の師範の方に言われた「お茶はもてなすもの。 もてなされる側に決まりごとはない。」という言葉に感銘を受けました。 うちにお客さんが来たらコーヒーだします。 それを偉そうに、当たり前のように飲む人はいません。 それで十分なのです。 もちろん、お茶経験ある方も大歓迎です。 「和服で行く!」という方もいらっしゃいました。 今回僕は「革」に絞って出品します。 革のアイテム、革のアート作品、革の何か。 未公開のものばかりを出すので是非使ってみてください。 気に入ったら買えます。 質問、茶券購入希望などはメール又は下記からご連絡お願いします。 Director: A person who "directs" group organizations or team.
I often find this position. Before I realized it is a work that I often feel illusion that I am a better position than the surroundings. Actually the whole group acts with instructions of myself. So not only arrogant people, even humble people and pessimistic people, the likelihood that any person will fall into such illusion is extremely high. However, there is a piano, a viola, a cello, a percussion, a trombone and a lot of players gathered, it was indispensable as everyone, there is a conductor as one of them. Certainly the conductor must be able to grasp all the performances and sounds. But the performance talent is far worse than the person who played the piano for decades. What I want to say is "to see each other firmly". Categorization from experiences (this tend to be common to people who often interact with people ;this person looks like him), the balance of the whole team collapses. What kind of sense does he have? why he play this sound? What kind of feeling will this play? It is only by perceiving the "richness" of each person, it will be possible to further prolong it, but for that, it is necessary for that person and its sense to be "like". People have various feelings, but when they arrive at the future "like" it becomes a very strong "impulse". Unfortunately, I am not a "platonic fans" type who looks at people from far away. Whether it is a celebrity, a great teacher, or an elderly person, I think "I want to know" without feeling scared. As a cheeky green youth, if you do not wanna talk to me, you can have it at all, well I am not interested in those who ran into "defense" that defends pride even for me. However, there is only a purpose to create something together. There are other directors and producers who can handle such a well. At that time I am an artist or a performer. Money is important, and I also carry out the work responsibly. However, they come later and I think that I can not do without "I like this" first. When the subject of that "liking" becomes "money", I think that another idea is born in me. Aside from being an elementary school student's choir competition and a performance presentation, I was always a conductor. Sometimes I ran as a candidate for myself, and sometimes I recommended it from everyone, because of I was able to play all musical instruments or I was just a wanksta, it may be only it, but anyway I feel that experience is living now. |
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November 2023
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